7月、暑い夏に入りました。これからの季節は、子ども達の熱中症にも注意して、保育をして参ります。
先月のお話のなかで、遠足でのバス代の高額化で、遠足の実施に悩むところですとのお話をしましたが、保護者の皆様から、そこは悩まずに楽しい遠足を続けて下さいとの温かいお言葉もいただき、本当にありがたく嬉しく感謝申し上げます。
また同じく先月のお話で、抱っこの重要性をお話しましたが、近年お父さんも、お母さんもお仕事で、帰りも遅く、子どもとの触れ合いの時間が少なくなっていることに不安を感じている方も多いかと思います。
これに関連して古い話かもしれませんが、私の実体験を少しお話しさせて下さい。
私の両親は、かつて小学校の教員でした。つまり私は共稼ぎの家に育ち、両親の帰りも遅く日中は祖母が面倒をみていました。その母が86歳になって、私に一冊のノートを渡してくれました。4人兄弟ですが、兄弟全員にそれぞれのノートを渡したのです。
このノートの話は、この欄を書き始めて40年間以上、私事でもあり、お話したことはなかったのですが、一度くらいお話しても良いかと考え、お許しください。
ノートは50頁以上に渡って、細かい字でびっしりと、私の生い立ち、生まれたときの時代背景、命名の理由やその時の両親の感動、幼児期時代、小・中・高校時代、大学時代、大学卒業後の今日に至るまで、母から見た子どもの私の姿、性格、行動、その時々の母、父の心配や想いなど、良い点も悪い点も実に仔細に書かれていました、私にとってその詳しさと内容は驚きでもあり、また良いことも悪いことも含めて、子育てに参考になるであろうことが随所に見られました。
そのノートの最後には、「一番世話になったあなた方夫婦に心から感謝し、この生い立ちの記を心を込めて送る。平成9年10月3日 母(86才6月)」と記されていました。前置きがながくなりましたが、そのなかの2歳から3歳頃の記載の一部です。
以下、原文通りを転記してみます。
【日中親不在で、私が夕方帰宅すると、玄関の障子戸を明けるや、「あーちゃま あーちゃま」(お母ちゃまの言葉がはっきり云えないものであるから)とにこにこしてとても嬉しそうに両足をバタバタと踏みならして大喜びして抱きついてくる。その仕草と表情を見ると、日中離し放しの可哀想さと可愛さで涙が出る程、いとおしく、両手でしっかり抱いてやった。
こうしたことが日課のように毎日続いた。】 こうして、先月にお話したとおり、甘えん坊の私の抱っこは小学生低学年頃まで続いていったのです。しかし、この抱っこの感触(肌の感触はもちろん心の感触)が、私の心と情緒の安定や人への思いやりの大切さを教えてくれたのでないかと、自分なりも思っています。この年になっても、母の慈愛に満ちた笑顔は忘れることができません。
そして、母は、94歳で亡くなるその年まで仕事を続け、私は子ども頃に寂しかったことを一度も恨んだこともなく、仕事を続ける母を尊敬し、敬愛、感謝していました。
ここで私が申し上げたいのは、両親の仕事による触れ合いの時間が少なくても、触れ合いの時間の長短ではなく、その密度でないかということです。
仕事をお持ちのお母さん、お父さん自信を持ってお仕事を続けて下さい。その代わり、精一杯想いを込めて抱っこをしてあげて下さい。
何かの参考になればと、恥を忍んで勇気をだしてお話してみました。